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今回、8月4日のコルサコフ港から8月17日のウラジオストック港までが、バイク12台の団体旅行。全体を思い返してみます。
実は昨年サハリン島を一周した時は、(ガソリン不良の為か)バイク4台ほど故障するし、雨天で沼の中を走るため、深夜走行になるは転倒するは、でそれは大変でした。
今回は全く順調。バイクの故障はBMW一台がセルモーターが回らなくなっただけ、転倒やパンクも無し。大陸でのダートも締まっていて問題なし。ワシも、峠越えの日は、師匠=賀曽利さんのDR-Z400とSEROW-250で、時速90kmで45分ほど木製の橋などのダートで、バトルを楽しめた。
ロシア人からのウォッカ攻撃もほどほど。ワシも、二日酔い走行は一日だけだった(ただ、この日が8月15日で560km走行の日だったので、チト辛かったが。)。参加者でも、風邪など体調崩した人も居なかった様子。
トラブルと呼べるのは、二つ:
一つは、【大陸へ渡るフェリーの遅れ】。8月10日夕方(16:45?)出航の予定だったが、昼に港についてみると、係員が居なかったり、出航時間が再三再四延期になり、夜中にバイクだけ船に乗せて人間はターミナル(ORホテル)に戻らされたりで、結局出航は翌朝の8:50。結局16時間遅れ。(でも、まあ「ここはロシアだから」で説明はつく。想定の範囲内だ。)
最大のイベントは、【放射能】。
街で会話する人も、(遅くとも3つめの質問は)「福島は大丈夫か?」と言われるくらい、ロシア人には原発事故は神経を尖らせている。
稚内からコルサコフに渡るフェリーで「放射能検査がある」と事前に噂されていたが、ロシアの測定器なんていい加減だろうし、最後は袖の下で解決できるのがロシア風だろう、などと高をくくっていた。幸い、単独入国したワシや、バイクは全て検査を通過したのだが、一人手荷物で入国時にブザーがなる。その瞬間、ロシア人係員は身を避ける。係員の指示で手荷物を開け、個別に何が放射能があるか切り分け試験が始まる。結局、犯人は「バイクカバー」と特定される。実はその人は、流山市在住で、【ホットスポット】と噂されている地域。それを放棄して、ロシア国内で廃棄することは許されず、通関とユジノ本局との協議マターとなり、そのバイクカバーだけ日本に送り返すことを、ハートランドフェリー社が引き受けてくれて、1件落着となる。
判ったこと2つ。日本のホットスポット説、本当なんだね。(自宅のベランダなど水で洗ったほうが良さそうだ。)。あと、ロシアの測定器、精巧だ!(ま、原子核物理学の国なので、当たり前か。)。検出された値は、セシウム、0.39マイクロシーベル、だったそうです!

丸窓に 竹と竹薮 クロスする

蝉時雨 蟻とバトルの 悪あがき
小林 八一九
(嵯峨野にて、帰宅のルートを決めかねる煩悩!)

京豆腐 ビールも旨い 桂川

松尾神社は醸造の神様。お賽銭も奮発し、【いつまでも元気にお酒が呑めるように】と祈る。写真は氏子各社の一斗樽。

苔寺の枯山水庭園にて。

天気予報が【雨のち曇、30度】だったのに、午後からは遊園地のアトラクション状態の豪雨、22度で、芯まで冷える六時間!
でも京都に着いたら雨が嘘のように止み、ここは嵐山・渡月橋のライトアップです 。

鳥取県中部の倉吉市。左手は白壁土蔵、右手は赤瓦。(松江の激安ビジネス4連泊を出て、雨の中、東進開始)

鳥取県西部の花見潟墓地。韓国テレビドラマ(アテナ・戦争の女神)ロケ地。日本海に向かって立つ墓石群を見下ろす。

憧れの世界遺産。間歩(まぶ、坑道)への入り口の写真。
歴史の深さ、人の暮らす古い街並み、それを守ろうとする村人の心意気。素晴らしいです。雨の中、4時間も散歩しました。
ロシアでは総計 2523km走ったので、夕方オイル交換。
それに昨日は、久しぶりの散髪もしたので、ほんとにスッキリ。(松江・武家屋敷近くのレトロな床屋さんだったが、県知事もジャンパーを着て歩いて来るとの事!)

枯山水庭は、風情無し。八年連続で日本庭園一位なのは、ひとえに雄大さ故か?

傘を乾かす。

海外荷物(本、冬物、パスポートなど)3キロを宅配し、一昨日の下痢か?体重も一キロ減少。
霧雨&蝉時雨の松江を、軽装で散歩。

入港後もバイクの通関、セルモーターが壊れていたバイクの修理などで四時間かかってしまう。
境港で、まずは、マグロ丼を満喫し、鬼太郎オブジェ見学の観光客の多さに辟易する。
洗車、松江市のビジネスホテルでの洗濯・乾燥、充電、海外用荷物の整理、中国地方のバイク用地図購入、など、超特急で終え、やっとホッとしたところです!

じつは、一昨日シャンパンか?古いつまみか?デッキで風に当たり過ぎたか?で昨日は下痢。
昨晩絶食・早寝したので、お腹は回復したものの、微熱気味で風邪のようだ。
久しぶりにドコモの電波で、東側の隠岐の島の写真アップします。

なぜか煙突が青い!手前は甲板の恐竜?
夕方6時出航、明日朝9時境港到着予定。

韓国のグランドキャニオン、駅近くの鍾乳洞窟など観光。写真は市場の煎り豆屋さん。

韓国の東海という一時停泊港を目指す旅。今度も日本の中古の大型船なので、ちょっと拍子抜け。
写真はウラジオストクで、建設中の橋。来年のAPECに向けて市内中が突貫工事なのだ!

1500ウラジオストクの船の駅を出航!

晴れ渡った港町を三時間散歩。左上が今日16時に出航する船。

雨の渋滞ダートでヘロヘロ状態でウラジオストク港に到着! そこには【Eastern Dream号】が待っていた!!!
保税倉庫の前で、憧れの師匠とパチリ。師匠とは、シルクロード、南米に続き三回目のゴールイン。

午後にバイクを船積みするので6時起床、70キロ走りカフェで調子よく朝食。

牛が横断歩道!
今日は560kmと、ロシアで最長の走行距離。ウスリー川を南に遡って、気温も久しぶりに30度を越え、終戦記念日でもある日本の夏を思い出す。

花の脇をトロリーバス〓が、走ります。

快晴の休息日。朝、バイクに、チェーンオイル、ブレーキバッド交換、など。
ロシア正教会前の階段を下り、アムール遊覧船へ。

涼しい雨の中、人口58万人のアムール湖畔の町。日本人墓地で献花の後、初めてての都市型ホテルから、沢山の船が見えます。洗濯物も終え、のんびりの時間です。(お盆ですね、合掌)

来年の流氷です。

峠を越え、アムール川の町リドガへ。針葉樹林帯は蚊の住処。水シャワーのみですが快調です。
鄙びた貨物船かと思いきや、青函連絡船のお古。14時間かけ、間宮海峡を渡りました。

鉄道も乗る連絡船にバイクを積み込み、サハリン島とお別れ。

今日からはオフロード・バイク総勢12台の旅。日本軍のトーチカのある旧・熊笹峠に元気に並ぶ。

今日は1日、ユジノ市内散策。ここは旧・樺太庁博物館の庭。
網走での夢が叶いました。写真右から三人目(青)がウィルタ族のスクート嬢。シベリア少数民族の【ミスコン】?らしく、左手のニブヒ、エベンキの人ともじっくり話せました。

今日は東へ、州都ユジノ・サハリンスクを越え、その名もオホーツコエ村。(旧・とんない)。
写真、左手は鮭鱒も遡上する川=トゥナイチャ湖。
右手のオホーツク海に別れを告げる。
今回のテーマは、環日本海なのだ!

そのため、南の海岸に酔っ払いが多かったようです。
心配させましたが、だいじょうぶ。vodka&キャンプを勧められたり、ハグ?された位だから。
今日はホロムスクを一旦離れてます。写真は、旧・王子製紙工場。独特の廃墟感!

ツバメ飛ぶ爽やかな港町。長い階段を下りる父と子。

昨日は、泥・雨に打たれるは、泥酔のロシア人に絡まれ続けるはで、今日はバイクはお休みです。
写真は、大陸に渡る鉄道連絡船の港。右手サハリン内、日本時代からの狭軌車両が来て、後方で台車を交換して、左手の広軌の線路で舟に乗る仕組みです。でも今乗り込んでいるのはトラックのみ、時の流れですね〓

三日目は南西の半島の西海岸を、ホロムスク(真岡)から南端方向へ往復200kmバイク。
写真は、1日二便の線路の枕木交換を人力で実施している所。ウズベキスタン人20名をロシア人一人が監督中。左手の海には、アザラシもいますよ。

で、なんとかなると思ったのが甘かった。午後から大雨だし、ホテルが無い町ばかりだし、なんと時差が二時間もあるし、宿が無い!
一時は駅での野宿も想定しましたが、なんとか、ホテルを探せ、カフェでスープが飲めました。

サハリン2の精製基地を、日本軍上陸記念碑【左手】のある丘から臨む。

金色のロシア正教会と乾杯〓

ウラジオストク発、韓国・東海経由で、8月19日に、境港に帰国します。

8月4日10時発、コルサコフ行き、アインス宗谷。二等24800円、バイク9000円。利用者はここも少なく、乗客40名で日露半々、バイクは一台だけ。
天候、体調、メンテ、洗濯、全て順調。こういう旅こそ、安全重視で!
行って来ます!
稚内市内のバイク屋さんで、早くも渡航準備で、日本のナンバーにお別れ。もちろん、最後のメンテも抜かり無く。磨り減ったタイヤ前後交換、オイル交換、給油、増し締め。

東京の自宅を出て、2400km。明日渡る「サハリン島」は、残念ながら、海峡霧の彼方。


ライダー憧れの 函岳(標高1124m)。好天の中、キタキツネも見かける、ダート走行を満喫。そして頂上は、この写真。正面:北にサハリン、左手:西に日本海・天売島、右手:東にオホーツク海!(が、見える筈。)
今日から、バイク旅、を再開。北見市から、2日間かけて、北の果て:稚内市に移動する予定。
まずは、網走市の、北海道立北方民族博物館(写真1)。駆け足で、特別展のみ狙い撃ち。【ウィルタとその隣人たち(サハリン・アムール)】。(サハリンの民族、アイヌ・ニブヒ・ウィルタの一つ)
ウィルタ民族は、いまや、サハリンに300人しか住んでいない。大いに心を痛める。仲間のツングース系の民族が、アムール川流域に住んでいるらしいので、ロシア本土に期待を掛けたい。
続いて、網走市内の、資料館ジャッカドフニ(写真2)。戦後に、ウイルタ族も一部サハリンから北海道に引き上げた。その3家族の一人、北川アイ子、さんが、館長を務めていた。残念ながら数年前に亡くなってしまい、ウィルタ語のNativeが無くなってしまった??ことなども聞く。(参照。司馬遼太郎「街道を行く」(オホーツク編))